鷺の舞(さぎのまい)は室町時代から600年余にわたって、山口市堂の前町の人々の手で受け継がれ、奉納されてきた神事である。
起源は応安二年(1369年)大内弘世が八坂神社の社殿を造営し、京都八坂から神霊を迎えたとき、神事として移ってきたと伝えられている。
京都でもこの舞が出るのは有名な地蔵のある壬生からであることにちなみ、これを山口に移したときも山口で名高い黒地蔵のある堂の前から出る習わしにしたのだという。
鷺の舞は、山口のほか、京都の八坂神社、島根県津和野町の弥栄神社(これは天文十一年〈1542年〉に山口から移したもの)などでも行われている。
しかしいずれも、途中で中断しその後再興したものであり、山口のものだけが640年以上にわたって絶えることなく受け継がれて奉納されてきたとされる。
鷺の舞は、役者(舞う者)六人、その内訳は鷺二人、カンコ(*1)二人、シャグマ(*2)二人、囃子方(*3)として太鼓一人、笛二人、警護役として棒持二人、ひねり持二人、それに提灯一人、笠鉾(*4)一人の合計十五人が、その年の頭屋(鷺頭人と云う)の指揮の下に奉仕する。
舞のスジは簡単なもので、庭をゆっくり舞う神の使いである二羽の鷺を、楉(*5)を持った猟師のシャグマが射とうと身構える。これを知ったカンコの少年が小鼓を叩いて鷺に危険を知らせ、猟師の邪魔をして鷺を助けるというものである。
*1カンコ かんことは濃浅黄色鷺定紋入白貫染長着、薄紅色はかま、紅白既染はかまに白黒既付、 烏帽子をつけ、鼓を前方につけ、これを打つみじかい棒を両手にもった者を指す。
*2シャグマ シャグマ(赤熊髭)は鷺棒使いとも言われ赤毛の頭をかぶり、濃浅黄麻地に鷺の定紋入り白貫染長着、立縞袴、白帯、浅黄白既染の袴をかけ釣太刀をはく。
*3囃子方 (はやしかた)は日本音楽の用語。能と歌舞伎で用いられる
*4笠鉾 (かさぼこ)は祭礼の飾り物で、大きな傘の上に鉾・なぎなた・造花などを飾りつけたもの。
*5楉(しもと) 木の枝や幹からまっすぐ伸び出た、若く細い小枝。すえだ。
鷺の舞は毎年7月20日の衹園祭で行う。
当日午後6時、出発地の黒地蔵の前で初舞をする。
次にその年の頭屋の前と札の辻で一舞ずつ舞って、八坂神社に行き、神輿三体の前で舞う。それが終わると、神輿の巡幸に供奉しお旅所で奉納する。
上図は保存会結成時 (昭和四八年)の堂の前町の住宅地図と、頭屋の役目が継承されると言われてきた家屋の場所。
地図中の数字は、 当時の頭屋が鷺の舞を担当した順を表している。
山本氏は昭和二九年より堂の前町に居住。 転居してきた当時、 町の古老や住民たちに勧められ、 鷺の舞の頭屋を受け継ぐことになった。 以前の居住者であった河村氏も頭屋であり、同地に住む者は代々頭屋を担当することになっていたという。山本氏は又、本件について山口市より書面を交付された。
出典文献/山口市小郡町 1972. 善隣出版社
継承活動の経緯と状況
鷺の舞を取り仕切る「頭屋」は、昔から堂の前地区に四戸があって、いずれも世襲制で四年に一度あて交替で「鷺頭人」となり、神事に奉仕してきた。
しかし、頭屋の力だけでは運営面などで限界があるとされ、昭和四八年(1973年)10月、山口県無形民俗文化財に指定されたのを機に、町内有志により保存会が結成された。
保存会では、町内はもとより、地区外の篤志の人たちから援助をうけ、傷みがはげしくなっていた衣装、道具類を新しく調えていった。
出典参考資料/鷺の舞DVD パンフレット2014.鷺の舞保存会 史料編纂室
八坂神社
〒753-0035 山口県山口市上竪小路100
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八坂神社御旅所
山口県山口市駅通り1丁目7