八坂神社は、応安二年(1369年)、大内弘世が京都の八坂神社より勧請したと伝えられる。
最初の鎮座地は上竪小路(旧址不詳)であったといい、長禄三年(1459年)大内教弘の時代に水の上(香積寺門前・川の右岸)に移す。
その後、永正十六年(1519年大内義興)が高嶺大神宮(現山口大神宮)創建にあたり、当社もその地に移し(*1)、翌十七年(1520年)社殿を新築(一部は従前のものを移設)した。
幕末の元治元年(1864年)毛利敬親が萩より山口に藩庁を移すに際し警備上移設の必要が生じ、旧築山館の跡地で当時畑であった現在地に移設遷座した。なお本殿は永正年間のものを解体運搬した。
社号は長く「衹園社」であったが、明治二年「神仏判然令」をうけ「八坂神社」と改称する。
(*1)“水の上は家が多く、穢れの恐れあり。”「高嶺両太大神宮御鎮座伝記」
本殿は三間社流造で屋根は檜皮葺。昭和二十五年、国の重要文化財の指定を受ける。拝殿及び楼門は、現在地に移した元治元年(1864年)に新築されたものである。
また、本殿周囲に施された十六個の蟇股は、当時の工匠の卓越した技工が随所に見られる優秀な彫刻である。図案は、桃・枇杷・茄子・胡瓜・イチジク・南瓜・ヘチマ・アヤメ・ハスなど夏の野菜果物、植物で構成されていることは、衹園祭がそうであるように、向夏の疫病退散を意味するものであるとともに、棟梁の粋な遊び心が伺える。
当社は本殿・拝殿・楼門が一直線に連結した「楼拝殿造り」と呼ばれる構造で、近郊には見られるが全国的には珍しい様式である。
梁の上、桁との間に置かれる部材で、上部構造の重量を分散させ支える機能を持つ。のちに建築技法の向上により不要となったが、古建築によく見られる意匠である。
形状により年代判定の基準になり、当社のものは室町期特有の厚みと精緻な彫刻を良く表している。
八坂神社
〒753-0035 山口県山口市上竪小路100
電話番号 083−922−0083
八坂神社御旅所
山口県山口市駅通り1丁目7